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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1409号 判決 1980年2月25日

控訴人 松崎商事株式会社

右代表者代表取締役 松崎義通

右訴訟代理人弁護士 佐藤義行

被控訴人 株式会社第一勧業銀行

右代表者代表取締役 村本周三

右訴訟代理人弁護士 奥野利一

同 稲葉隆

同 野村昌男

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、金三、二九〇万三四一円及びこれに対する昭和五〇年一〇月一〇日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、原判決の事実摘示のとおりであるので、これを引用する。但し、原判決四丁裏八行目末尾に「したがって、本件各小切手の支払は、民法一一〇条の表見代理人に対する支払として有効である。」を、同七丁表五行目「乙」の次に「第四、第五号証中官署作成部分の成立は認める、」を挿入し、同八丁表八行目の「否認する、」を「否認し、松崎義通の署名は訴外石原によってなされたものであり、松崎の丸印影は訴外石原が偽造印章によって顕出したものである、」と改め、同八行目「七六」を「七七」に、同九行目「七七」を「七八」に各訂正する。

一、控訴人の再抗弁についての追加主張

原判決別表記載の各小切手(以下「本件各小切手」という。)の振出人と称する者の印影の中には、余りにも不鮮明で、いかに視力の秀でている者であっても、とうてい照合が不能又は困難なものが多数含まれている。すなわち、本件各小切手(乙第七ないし第六二号証)の各振出人名下の印影を看るに、

1. 原判決別表記載1(第七号証)、2(第八号証)、4(第一〇号証)、9(第一五号証)、13(第一九号証)、16(第二二号証)、22(第二八号証)、29(第三五号証)、31(第三七号証)、46(第五二号証)、52(第五八号証)、53(第五九号証)の各小切手の各振出人欄の捺印は、故意に不鮮明に押捺したものとしか考えられない程余りに不鮮明であって、印影の中心部にある「社長之印」の一部を除いては、文字として顕出されているとはいえず、とうてい印鑑照合をなす術がないことは明らかであるから、右各小切手の支払は、振出人欄に押印のない小切手に対する支払、換言すれば、小切手要件を欠く小切手に対する支払と同視し得るものであって、このように真印と偽印の相違点の発見に必要な注意義務の問題以前の「捺印といえない程度の印影」の押印された小切手に基き支払をした被控訴人の支払担当者には、故意に近い重過失があるというべく、また、

2. 同別表記載6( 一二号証)、8(第一四号証)、11(第一七号証)、12(第一八号証)、15(第二一号証)、17ないし20(第二三ないし第二六号証)、25ないし28(第三一ないし第三四号証)、30(第三六号証)、32(第三八号証)、36(第四二号証)、38ないし41(第四四ないし第四七号証)、47ないし49(第五三ないし第五五号証)の各小切手の各振出人名下の印影は、右「1」に記載の各小切手の印影より若干鮮明な文字が一字ないし二字顕出されているけれども、平面照合で真印か偽印かを判断するに足る程度に印影が顕出されているとは言い得ず、照合せずに支払をしたものと解するほかはないから、右各小切手の支払にもまた重過失があるといわなければならない。

したがって、被控訴人は控訴人に対し民法七一五条一項による損害賠償を請求できない。

二、右再抗弁に対する被控訴人の主張

1. 控訴人の右主張の事実は否認する。

本件各小切手の一部に若干印影の薄いものがあるが、全く印鑑照合ができないという程ではなく、また、印鑑照合の点だけをとらえて、本件各小切手の支払につき被控訴人に故意にも等しい重過失があったとは、とうていいえるものではない。

2. 本件各小切手の支払につき被控訴人に重大な過失があったかどうかを判定するためには、単に印鑑照合の点だけではなく、広く右支払に関する諸般の事情をも総合した上で、不法行為の被害者である被控訴人において、訴外石原の本件各小切手による預金の払戻行為が同人の権限内において適法に行われたものでないことを知らなかったことにつき、果して故意にも準ずる程度の重過失があったとまでいいうるかどうかという観点から判断すべきである。

3. ところで、本件の場合左記の各事実をも総合すれば、被控訴人に故意にも等しい重過失があるとして、控訴人の使用者責任を否定するのは、全く不当といわなければならない。

(一)  控訴人の前社長及び現社長とも、被控訴人に対し「銀行取引関係は一切石原に任せてある」旨言明していた。

(二)  訴外石原は、控訴人の経理責任者として、被控訴銀行池袋東口支店にしばしば来店して熟知され、預金の預入れ、払戻、及び借入れ、その他銀行取引に関する一切の行為を行っていた。

(三)  被控訴人は、右支店の店頭において、訴外石原に直接本件各小切手の支払をしているのであって、控訴人の社員でない人とか、初対面の人とか、経理に関係のない人などに不用意に支払ったものではない。

(四)  本件各小切手の振出は、いずれも被控訴人から控訴人に交付された正当な小切手用紙が利用されている。

(五)  本件各小切手と控訴人が真正に振出した小切手(乙第六号証)とを対比してみると、社長の印影を除けば、振出人の記名印は全く同一であり、社長の印影も肉眼をもってしては届出印鑑と簡単に識別できない程度に極めて精巧にできている。

(六)  控訴人が正規に振出した小切手(乙第八四号証)の裏面の松崎の印影は、原判決別表記載1ないし3の小切手(乙第七ないし第九号証)の裏面の松崎の印影と同一である。

(七)  控訴人が正規に振出した小切手(乙第八五号証)の表面及び裏面の松崎の各印影は、同別表記載7(乙第一三号証)、14ないし32(乙第二〇ないし第三八号証)、48(乙第五四号証)の各小切手の裏面の松崎の印影と同一である。

(八)  訴外石原は、控訴会社の社員である訴外今義弘が保管していた社用印である「松崎商事株式会社取締役社長松崎義通」というゴム印及び「東京都板橋区中丸町四五番地」「松崎義通」というゴム印を使用して本件各小切手の支払を受けている。

(九)  訴外石原は、預金払戻事務を担当しており、昭和四七年一月から同年八月までの間に、本件各小切手を含め、合計一一八枚の控訴人振出名義の小切手、金額にして一億七、六〇〇万円の払戻を受けている。

(一〇)  被控訴人は控訴人に対し、昭和四七年三月、六月、九月の三回に亘り、当座勘定の過振り利息及び小切手金引落後の預金残高通知書を親展文書として郵送しているが、これに対し控訴人から何らの異議申出もなかった。

三、被控訴人の再再抗弁

控訴人は、訴外石原が本件各小切手によって被控訴人より払戻を受けた控訴人の預金のうちから、一、三〇〇万円の入金を受けていて、その限りにおいては計算上控訴人自身が直接右預金の引出しをしたのと同一結果に帰着する。

従って、仮に被控訴人に何らかの預金返還債務があるとしても、右金額を控除すべきである。

四、右再再抗弁に対する控訴人の認否

被控訴人主張の事実は否認する。

理由

当裁判所も控訴人の本訴請求は理由がなく棄却すべきものと判断するものであり、その理由は、次に付加、補正するほか、原判決の理由のとおりであるので、これを引用する。

一、原判決九丁表六行目「第六二号証)」の次に「は訴外石原によって偽造されたもので、その」を、同行「社長名」の次に「下の円形」を各加える。

二、原判決一〇丁表四行目「野辺」を「野部」に、同六行目から七行目にかけての「原告の払戻し、貸付け」を「控訴人の預金の受払い、あるいは資金の借受け事務」に各改め、同七行目「現代表者」の次に「松崎義通あるいは前代表者松崎勝義」を加える。

三、原判決一〇丁裏五行目「後記認定のとおり」の前に「訴外石原が本件各偽造小切手を持参し、その支払を受けた行為が控訴人についての代理行為に該当すると解することは困難であるとともに、」を挿入し、同九行目「否めない。」を「否めず、仮に訴外石原の右行為が権限踰越の代理行為と解する余地があるとしても、被控訴人にその権限があると信ずべき正当の理由があるということはできない。」に改ある。

四、原判決一一丁裏四行目の「対して」を「おいて」と改める。

五、原判決一二丁裏二行目「証人中野」から同九行目「証言)」までを、次のとおりに改める。

「、前掲甲第四ないし第六号証、乙第八七号証、原審における証人野部晃司、同中野善洋、同徳地博、同今義弘の各証言によれば、被控訴銀行池袋東口支店においては、昭和四七年一月ころから同年八月ころまでの間に、控訴人振出名義の小切手一一八枚により合計一億七、六〇〇万円ほどの現金が訴外石原に交付されているが、本件各小切手による支払はその一部にあたり、その余は真正な小切手による支払であって、右真正な小切手により支払った金員は控訴人において受領していること、本件各小切手による支払は、真正な小切手による支払と、その手続において全く差異がなかったことが認められ、これに前記認定のとおり、同支店における控訴人の金員の受払いは、右期間中訴外石原において専ら担当していたこと」

六、原判決一三丁表二行目「被告」を「同人」に改め、同五行目の「被告は」の次に「訴外石原が本件偽造小切手を使用して、右各小切手金を被控訴人から詐取した不法行為により」を挿入する。

七、同丁裏九行目「によれば、」の次に「本件各小切手上の控訴人代表者名下の偽造印による印影は、印鑑照合が全く不能であるとはいえないまでも、困難を感じる程度に不鮮明なものが多いことは否定できないものの、」を加える。

八、原判決一四丁表三行目「些」を「仔」に改める。

九、同丁裏四行目「なしたものであること」の次に「(前掲甲第四、第五号証中の印鑑照合をしなかった旨の訴外石原の供述部分は、右中野善洋の証言に照らし採用できない。)」を加え、同五行目から同一五丁表七行目までを次のとおりに改める。

「以上によれば、真印と偽印とは一見同一のように見受けられるが仔細に点検すれば肉眼によって必ずしも発見し得なくはない相違点があるのに(前掲甲第六号証によれば、訴外石原が株券の名義書換につき右偽造印を使用したところ、発行会社から真正な印影と違う旨指摘されたことがあることが認められる。)、これを看過し、あるいは本件小切手上の印影に不鮮明なものが少からずあるのに、そのまま同一の印影であると判断して支払に応じた被控訴人の行為は軽率のうらみがあり、銀行として右照合につき必要な注意義務を尽したものとは認め難い。しかしながら、前掲甲第四ないし第六号証、乙第八七号証、原審における証人今義弘の証言によれば、本件各小切手は、いずれも被控訴人から控訴人に交付された正規の小切手用紙に、控訴会社の社員である訴外今義弘が保管していた社用のゴム印等が押印されたもので、前記偽造印による円形の印影部分(その印影も前記のように真正な社長印の印影と一見極めて類似している。)を除き、真正な小切手と同一であることが認められ、また前記のように、本件各小切手による支払は、真正な小切手による支払と、その手続において同様であり、昭和四七年一月ころから同年八月ころまでの間における控訴人振出名義の小切手一一八枚(そのうち、五六枚は本件各小切手であり、その余は真正な小切手である。)による支払金合計約一億七、六〇〇万円の一部であること、これらの小切手はすべて訴外石原が被控訴銀行池袋東口支店の店頭に持参していること、被控訴人は控訴人の代表者から控訴人の経理は訴外石原に委せてある旨きいていること、訴外石原は右支店における控訴人の金員の受払い一切を担当していたこと(控訴会社の社員今義弘が右支店の徳地博に対し、昭和四七年六月に、同月までの当座照会表の写の交付を求め、かつ今後は訴外石原に代って右今が右支店に出入りするようになる旨を申入れたとの証人今義弘の証言は、今と初めて会ったのは同年九月である旨の証人徳地博の証言に照らし採用できない。)等を考慮すると、民法七一五条一項の適用上、控訴人の被用者である訴外石原が本件小切手を使用して被控訴人に支払を請求する行為が控訴人の事業の執行につきなされたものと被控訴人が信ずるについては、被控訴人に重大な過失があったと断ずることはできない。

したがって、被控訴人は控訴人に対し、同条により前記の損害賠償を請求できるものといわなければならない。」

一〇、原判決一五丁裏三行目「を超えるもの」を「と同額であり、別表各金額に対する各支払日以後の遅延損害金請求権が存するもの」に改める。

よって、民訴法三八四条、九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 外山四郎 裁判官 海老塚和衛 清水次郎)

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